(68)三条院(さんじょういん)
2021.01.13
教室長ブログ
こんにちは、教室長のこうちです。
今日はいい天気ですね!
昨日の夜は、まるでスキー場のような冷気でした。。。
さいわい雪は降らなかったので無事帰ることができましたが、
太平洋側に住んでいてよかったなあ・・・と感じながら帰りました。
さて本日の一首は・・・
(68)三条院
【心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな】
三条院は、冷泉天皇の2番目の子で
36歳のときに天皇を位を継ぎました。
しかし、もともと病弱だったため
目の病気を患ってしまい、あまりはっきりとは見えません。
さらに、天皇になってから
内裏が2回も火事になったりと災難続きでした。
三条院は、「自分が即位してからどうも災難続きだ・・・」と
悩む日々を送っていました。
そんなとき、宮中で幅を利かせ始めたのが
藤原道長です。
藤原道長は、自分の娘を天皇と結婚させ、
その子を子どものうちに天皇にすることで、
実権を握ろうと計画していました。
三条院が病弱だと知った藤原道長は、
「もう病弱なんだし、災難も続いているし、
そろそろ退位してもいいんじゃないですか?」
藤原道長は、実権を早く握りたいがため、
毎日のように、三条院に退位をせまってきます。
病弱な三条院は、毎日圧力にもううんざり、
今でいうと、毎日のように嫌味を言ってくるお局のような存在でしょうか。
パワハラですね・・・
「もう・・・退位しちゃおうかな・・・」
あまりの災難、藤原道長からの圧力
三条院は、ついに退位を決意します。
そのときの無念の思いと開放された気持ちがつまった歌が
この歌なのです。
「本当は、死んでしまいたいくらいの気持ちなのだけれど
こんなにつらい世の中でこれからも生きていくのなら、
この夜更けの月が懐かしく思われるのかな・・・」
退位した1年後、三条院は病のため亡くなってしまいます。
運命とはいえ、病気・災難・圧力と三重苦に悩まされた三条院の人生は
とても辛いものだったでしょう。
今、自分の幸せを実感している人は少ないと思いますが、
人はいつなんどきどのようになるかわかりません。
毎日、幸せを実感できるようになればいいですね。
本日は、チャレンジテストと実力テストでした!
できはいかがだったでしょうか?
「実力テストなんだから、実力で受ければいいじゃん!」と
思って受けた人、手を挙げてー!
・・・いませんか?笑
たぶん、これは大阪府特有なのですが
このチャレンジテストは、内申点つまり通信簿の点数が決まるテストなのです。
この成績と評価基準は、ネットで公開されているので
気になる人は、ぜひチェックしてみてください。
テストの点数だけで決めていいのか・・・と疑問が残りますが、
これが今の学校教育ですね。
だから、実力で受けるわ!なんて言ってないで、
しっかり勉強してテスト当日に臨むことが、大切なんですよ!
チャンレンジテストの過去問もウィルビーでは受けることができるので
もし、次回の参考に受けたい人がいれば、ご連絡くださいね!
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